浪高時代からの長い人生の中で私が求め続けてきたものとは
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講演要旨
1958年秋に私は外国から距離を置いて『日本を再発見』する目的で米国に旅立った。ところが、米国滞在中に逆に欧米諸国についての自分の理解を根本的に
見直すこととなった結果滞在が長引き、四半世
紀以上を海外ですごしてしまいました。1983に帰国、情報化が加速を始めた1980年代後半からは、コンピュータとインターネットテクノロジーを駆使し
た独
自の研究センターを構築、グローバリゼーションが一段と加速する21世紀初頭の国際社会の中で日本が占めるべき位置と、進むべき方向についてのビジョンを
創り出す努力に明け暮れててきました。過去40年にわたってこのテーマを追ってきた私は独自のフィールドワークを続けましたが、今回浪高の先輩諸氏にお話
をするこの機会を得ましたので、、この間の私の個人体験を言葉にしてみるという形で一つの問題提起をさせていただきます。
(1) アメリカ滞在25有余年の間にしたことと見たこと
アングロサクソン型資本主義制度と個人主義文化を多角的に自分の五感を通じて体験するためにアメリカに滞在した全期間にわたって、私はほぼ3年に一度の間
隔で思い切って職業を変えることでアメリカ理解の深層に迫る経験を積みましたが、白人中心のアメリカ社会の経済ダーウイニズム(新自由主義の実態)の過酷
さと、それにもかかわらずアメリカ社会が持つ徹底した 開放性と強靭な自浄能力による回復力を秘めているという事実をつぶさに体験しました。
例えば、米国経済は1960年代後半から1970年代にかけて21世紀初頭の日本よりはるかに困難な状況にあり、都市の荒廃と人心の疲
弊は目に余るものがありましたがそれをアメリカ人は完全に克服したのでした。ここにあげる写真は当時自動車産業の都GMの本社のあるデトロイト市で私が撮
影したものですが、当時はすべてのタクシーは、運転手と客席の間が一寸近い厚
さの防弾アクリル板で遮断され、客は料金を片手も入らぬほど小さい窓から運転手に手渡しする仕組みでした。おまけにこの小窓でさへ、運転席の側から完全に
閉鎖することができるのです。今日のデトロイト市の隆盛と輝く近代的町並みを見る訪問者は、この街の当時の荒廃ぶりを想像することは不可能に近いでしょ
う。アメリカ社会では社民党的な福祉政策は生まれたかったのです。
しかし他方、『インディアン』と誤称されるアメリカ大陸の先住民族は、ユーラシア大陸の東部の原郷から遠い過去の時代に新大陸に移動し、大陸最南端のチリ
まで気の遠くなる徒
歩の移動を続けたのでしたが、アラスカでエスキモーと呼ばれる人たちは、比較的新しい時代にベーリング海峡(陸橋)を越えた最後の渡来者で、時期的には日
本の縄文時代とほぼオーバーラップ
しています。 旧石器時代の考古学的知見にバックされた確
証はまだありませんが、縄文時代の前半から後半にかけて彼らは当然東日本の各地にも移動し定着したと考えられます。私の『縄文時代の日本研究』は、まずア
メリカの西端アラスカ州
で、東日本のかっての縄文時代の生活をそのまま残したようなエスキモー社会に接し、豊なサケマスや海獣資源に依存する彼らの生活文化を自分で体験すること
から
始まり、それは1983年に日本に帰国するまで続きました。
(2) バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンの設立との日本人の原郷ユーラシア大陸
私は983年に帰国したが、1997年には東ヨーロッパ諸国での環境保護運動の支援を主たる目的として活動する米国のNGOバーチュアル・ファウンデー
ションUSAからの要請に応じ、バーチュアル・ファウンデーション・ジャパンを設立し、ユーラシア大陸北東部と南東部の諸地域に居住する少数民族にたいす
る
支援活動を開始しました。南東部では、ヒマラヤ山麓からインドのアッサム地方と中国の雲南省を経由して長江中流から下流域が対象となりました。このページ
の写真はネ
パールヒマラヤの山岳地帯に住むチベット系住民への支援活動のそれで、海抜4000メートルの断崖に立つ寺院に太陽光発電機を贈与した時のものです。
これらの地域には、縄文から弥生期の日本列島に多様
な生活文化と言語を持ち込んだ人たちの子孫の多くが古くからの伝統を守って今日も住
み続けてていて、自分の仕事を通じて、私はこの人たちと直接に接触し、交流と支援の事業を進める機会を得ています。インターネット上に東アジア民族博物館
をオ
ンラインで構築する構想も、近未来のプロジェクトとして視野に入れています。
私の『縄文時代研究』の対象は、ベーリング海峡の対岸チュコト半島からカムチャッカ半島を越えてエスキ
モーの原郷である日本海に臨む極
東シベリア地域にまで及び、私の関心は次第に縄文後期から晩期、特にキリスト紀元前の1000年から弥生時代への移行期に移りました。これは、ユーラシア
大陸
から女真系のツングース系種族を中核とする複数の小規模民族集団が日本列島各地へ移動を繰り返した時期に当たっています。1980年代初頭には、私は日本
に帰国して
ユーラシア大陸に関する知見を深める必要を強く感じ始めていました。ユーラシアの東北部では、極東ロシアのハバロフスク州と沿海州から満州に至る地域が我
々の支援の対象
となっていて、通信衛星とインターネットを利用して僻地の寒村を日本を含む外の世界との間の双方向の交流の実現を計画しています。
私が現在この地域での活動の拠点としているのは、極東ロシアの沿海州の北端にあるサマルガ河中流域
で、石狩川とほぼ同規模の河川流域にツングース系のウデ
ヘ族が住んでおり、サクラますや巨大イワナの資源が豊富ですので、日本や欧米からのエコツアー(自然環境を大事にする秘境観光ツアー)を地場産業として
育成し、それを核として環境にやさしい小規模な地場産業を徐々に導入してゆく事業を進めていますが、なんと言っても、現地と外の世界を直接に結ぶ信頼度の
高
い通信手段が必須で、衛星通信とインターネットを組み合わせた信頼度の高いシステムの導入が今後の最重要課題の一つとなります。
ウデヘ族は、その先祖が縄文晩期から弥生時代にかけて裏
日本に育場畑作農業を伝播し、12世紀初頭には塞外の民として華北の大地に大金帝国を建設して頑張った光栄ある北
方民族『女真族』の末裔であるという可能性が大ですが、彼らは自分たちの遠い先祖が日本列島に渡って育馬畑作文化を持ち込んで関東武者のルーツとなったと
いうような事実について
は全く知りません。このようなことはソ連時代の教育カリキュラムではタブーとなっていたし、日本側の研究者にも知る余地が無かったからです。
(3)
21世紀の日本に課せられたアジアでの役割が問われている今日、日本人は自らの歴史と文化の根本的再吟味の必要に迫られています (以下の二つ
の
チャートはサマルガプロジェクトをテーマとする千葉商大太田ゼミの学生グループが制作したものをお借りしました)
ユーラシア大陸の東端を出発点に、悠久の時間と空間の中で環太平洋的規模
の徒歩の民族移動を遂げた
アルタイ語族(日本人の祖形を含む)の雄大な軌跡の中
で、日本人の先祖は、縄文・弥生期を通じて他に類例を見ないユニークな太平洋の南北文化の融合に成功し、強靭な生命力をもった独自の複合文化である「武家
社会文化」を生み出しました
が、その本質の見直しがいまこそ日本人に課せられた歴史的責務として要求されています。
その最もユニークな特徴とは、南と北から流入した二つの異質の基層文化の複合過程から9-10世紀に生み出されたのが日本の武家社会だという事実です。武
士階級とその『イエ文
化』は、米作りの安定した高い生産力に支えられて、安定的発展を約束されたのでした。東国に発生した騎馬武士団が『一所懸命の地』とした所領の経営
は、武士達を寄生階級ではなく、直接土地所有者、管理者として農民との連帯感に裏づけられた尚武的指導者文化を生んだのでした。これは、東南アジアの他の
水田稲作社会や、中世
ヨーロッパには見られなかったもので、農奴制や奴隷制に基礎を置かないこのユニークな日本の統治制度は、以後中世から近世を経て1868年の明治維新まで
引き継
がれ、良かれ悪しかれその伝統は今日にまで尾を引いているのです。
(4) 日本の遠い過去の遺産の中にこそ問題解決への鍵があるのです
第二次世界大戦後に強行された経済改革では、明治以来の財閥中心の組織原理が新しい時代の『藩型』企業集団の鼎立という形に再編成され
ましたが、ピラ
ミッド型の支配構造と対外閉鎖性という組織原理はそのまま温存され、それぞれの企業が藩士的忠誠心に支えられた『企業戦士=猛烈社員』の集団を抱えて『企
業一家』
を構成するという高度成長期のモデルが採用されたのは周知の事実です。しかし、1990年代の経済のグローバリゼーションと情報テクノロジーのグローバル
な伝播は、企業経
済モデルとして1980年代に内外から高い評価をうけた『日本的経営』の有効性を真っ向から否定するかに見えます。それでは、グローバルな規模で進むIT
革
命によって情報化が爆発的に進む21世紀の国際環境の下で国際市場での競争力を急速に失いつつある日本には一体今何が必要なのでしょう?
日本にとって今真に必要なのは、 (1)
硬直的で閉鎖的な『藩型』企業集団と、それを取り巻く多様な閉鎖的『家元型』諸集団を支える徳川幕藩体制的価値システムの変革であり、そしてそれを実現す
るためには、 (2)
規制社会の生みの親である徳川社会の価値システムに代わって、9-10世紀の東国の原野を開拓した騎馬武士団が生み出した鎌倉時代の躍動する日本型個人主
義の再認識と、徳川以前の日本社会に脈々と続いた活力ある構造の復権です。日本の本来の姿をとりもどすのです。
そもそも、21世紀の情報社会に適合して機能できるアジアに固有の個人主義には、在外華僑中心の中国型個人主義と、日本の『原イエ』型
個
人主義という、少なくともその有効性を過去に証明された二つのモデルが存在していますが、そのいずれが明日のアジア太平洋地域でドミナントな地位を獲得す
るかが今世紀の最初の20年間に問われることとなります。私は、日本の古い歴史伝統に根ざした個人主義が中国のそれに並んで再び不死鳥のごとく蘇生して、
新世紀のアジアの持続
的成長に貢献することを心から願っています。
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