アジア太平洋地域の西側で始った私の人生の総括編
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もう半世紀以上も前のことですが、東京大学経済学部で経済史を専攻する学生だっ
た私は、人権、民主主義、そして個人の自由の尊重と不可分な関係を持つ欧米型の近代社会は、欧米以外のある国がたとえ市場経済制度に基づく資本
主義経済発展に成功したとしても、資本主義制度そのものに内在する要因から必然的に生まれるものではないとの思いを強く抱くようになっていました。いや、
む
しろそれは、ギリシャ・ローマの古典古代の文化伝統に始まリ、ユダヤ・キリスト教文明の長い歴史時間を経て醸成され、制度化された結果生まれた欧米社会に
特有な文化であり、
経済制度としての資本主義そのものの属性ではないと思えたのでした。このようなわけで、第二次世界大戦後の日本が占領軍の命令と指導の下で構築に努めた社
会制度は、それが何であれ、西欧
近代史の中で民主主義社会と呼ばれているものとは基本的に異なったものなのだ、というのが私の日本史研究の作業仮説となったのでした。私にとっては、それ
は
戦前の日本社会に修正を加え、外面的に一層「西欧化」が進んだアジア型資本主
義の一形態であり、18世紀半ばの日本で誕生した徳川型管理資本主義の戦後型
変形に他ならなかったのです。
アメリカ主導の連合国側による日本の戦後改革がアメリカ的な政治経済制度を日本に移植するのに相当の成果を収めたのは事実でしたが、移植された制度は結局
移植された「異物」の域を出るることにはなりませんでした。それらはアジアでの西欧社会の「ミラーサイト」となるのではなく、時間の経過と共に再び旧い
日本の伝統的価値や社会制度と融合し、風化する方向に向かうという歴史的必然が存在したのでした。
これが事実であることに確信を抱くに至った私は、自分がアメリカに渡り、アメリカ社会の機能メカニズムの秘密を自ら体験を通じて体感し、理解したいという
誘惑に抵抗できなくなりました。そして幸いにも米国政府の契約公務員としての職を得た渡しは1958年に渡米を果たしたのでした。しかし、この私の目的を
達成す
る作業は、私が考えていた数年間ではとても無理であることが判明した結果、私の北米生活は実に30年という長い年月にわたって続いたのでした。そしてその
間、この目的達成の手段として、私は意識的に十
指にのぼる異なった職業を米国社会で体験したのです。その結果、私は自らが立てた研究目標を実質的には達成したと現在でも信じております。
滞米生活30年の間には、私は北米先住民のインディアン、特に、ベーリング海峡が結ぶ新旧両大陸間に共通する民族文化のルーツをアラスカのエスキモーや
北米インディアンとの交流の中に発見するという貴重な体験をいたしました。ここから、私は再び真剣に考古学の文献を読みあさることとなります。その結
果、1960年代に始ったアラスカ先住民族の土地請求運運動とその後の地域経済開発プロジェクトに深く関わることとなりました。自らの
書き言葉の無いアルタイ民族の悲劇は、漢字文明圏の縁辺地域に居た日本人や韓国人と違ってローマ字と英語と欧米文化との習合を余儀なくされたのは新大陸へ
の移住者たちにとって不幸な歴史的条件でした。
1980年代初頭に日本に帰国した私は、最初の数年間を、日本企業の海外派遣要因を対象とする、いわゆる「国際感覚養成セミナー」の編成と指導に費やしま
した。訓練の対象となった人達は、その殆どが日本の代表的企業の若手幹部社員であり、戦後の日本経済界の明日を担う選良と言える方々でしたが、セミナー教
室の内外での彼らとの接触と交流を通じて私が得た結論は、日本の経済制度と、それを支える組織と、運営する人間はやはり本質的には変わってはいないのだと
いうものでした。
アメリカでの長い体験から得た客観的な物差しを手にしていた私は、今度こそはこの事態の本質を見極めるために、現代日本社会をと欧米社会との間に存在する
相違を納得できる方法で測定する作業に今こそとりかかる必要があると痛感しました。しかし、この作業にとりかかるには、今一つの新しいチャレンジが私を待
ち構えていたのです。それは、徳川資本主義そのものの歴史的起源の問題です。そして、これを探るためには、日本人および日本文化の歴史的ルーツを根本的に
再検討する必要があったのです。
幸いにも、私はその後日本でバーチュアル・ファウンデーション・ジャパンを設立し、世界の若者に平等な教育情報へのアクセスを提供するのを主たる目的とす
る米国のNGO「国境なき
教師団」との協力関係を構築する機会を得ました。東アジアの僻地の地域社会の支援活動を、南は、ヒマラヤの北部山麓から中国の東南部山岳地帯、揚子江中下
流
の地帯、北は、中国の北東地区からロシアの沿海州、ハバロフスク州に至る広大な地域で体験する機会を手にした私は、数千年という遠い昔から日本列島に渡来
してきた我々の遠い
祖先達の故地を踏破し、そこに現在も住み続ける人々と親しく交流するというすばらしい機会に恵まれたのでした。
ここで特に私が注目したいのは、紀元前後一千年余りの期間であり、この時期に日本列島の南の果てから北の果てまでの各地に持ち込まれ、土着していったた多
様な文化や生
活様式が古代日本人の生活様式の幾つかの原型となったという事実です。わたしは今後この仕事を続けながら必要なだけの時間をかけて、近代日本と日本人
をめぐる私の仮説の証明を進め、それを一冊の書物に纏め上げたいと考えています。この過程では、東アジア各地の地域社会の方々との共同作業の積み重ねが不
可欠ですので、その中で、アジア型のやさしい開かれた社会を構築するための共通の地域的基盤の構築にも努力したい所存です。それは、21世紀の現実に対応
するアジア型民主主義の構築作業でもあるのですから。
岡本国際問題研究所
所長
岡本 豊
June 10, 2005
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